1.30.2014

縄文-アイヌと褌


『山になり 星をみる』
山になって星を見上げる



昨年、Twitterのタイムライン上で拝見しひと目で気に入ってしまった
結城さんの作品。
その場の瞬間のやりとりで自分の作品と交換して頂けることになり、先日ようやく手縫いの褌と作品とを交換こしていただきました。
実際、手にした作品はしっかりとした額に入り思っていた以上に大きな作品だったので、先日ギャラリーで結城さんと再会した時にもうひと作品、製作交換してもらえるようにお願いさせてもらいふたたびゆっくりとつづきの刺繍に取りかかっているところ。

本来ならば壁に飾りたいところなのだけれど、なんとなく今の部屋ではない気がしていて台の上に置いた絵を眺める日々がつづいています。

自由が丘の個展で拝見した空の色とはまた違った深い夜空のいろをしていて
あの日、山で見た星でいっぱいの夜空のよう。

音のない場所で静かに眺めていたい作品です。


























今回は平田篤史さんの作品にもたくさん触れることができて、山菜やきのこ、鹿やたぬきを保存して食料にしているお話や、先日の鮭の解体のことなどいろいろ話題は飛びに飛んで、久しぶりの友達とのバッタリ再会もあったりで楽しい時を過ごすことができました。

縄文ーアイヌ二人展 平田篤史・結城幸司 @自由が丘 るなん


縄文ーアイヌ
まだまだ未知の世界は深そうです。
ことばの持つ意味や、地図の上では分けられないような文化。
詳しいことは分からないけれど なにかを 知りたがってるこの感じ。



いまの暮らし全てを縄文時代にそっくり変えてしまうことは難しいけれど、少しずつ取り入れられることはあるし、意識の所でトリップしてみると案外近づけているような気がしてくる。もともとDNAのどこかに記憶しているなにかがあるのだと思うし。
縄文に限らず「いざ」という時、本能で動いた自分の動きに過去の時代をはっと気づかされたりすることも多々ありで。

原発事故以前、後、すでに近代文明から離れた生活を楽しみながら取り入れている友達もたくさん。
今の日々の暮らしの中、チャンネルを切り替えることは難しいようで意外と簡単なのだと思う。それはけっして土臭いだけな訳でもなく、身近に存在しているようなやり方で日常にとけ込むようにすでに在るのかもしれない。
そんなことを言ったら本気で実践しておられる方々に怒られてしまうかもしれないけれど。。。

日々触れるものを大切に、こと、素材、音、食、はなし、…「質」を見失わず、自分なりに安定を保ちバランス良く息をしていたいとそう思います。



理想は今よりも自然に深い呼吸ができる空間へ。かな。
いちばん大事なところだよね。


今回びびびっと出会ってしまった器。
平田さんの作品。
この器ではなぜかモリンガ茶を必ず飲みたくなります。